考えない、念を継がない。
2018/04/07
人と比べても仕方ないと思いながらもつい考えてしまう事があり、
それは大体、不安や心配など負の感情で、私で言えば自分の将来への不安である事が多い。
そしてその不安や寂しさのトリガーとなるのは人と自分を比べた時が多い。
春は周りに変化が多いせいか、そのトリガーポイントを押される事が結構あった。
隣に引っ越してきたご夫婦に子供が生まれた、と思ったら二人目三人目とまた生まれ、
最近まで毎日戦争のような騒ぎ声が聞こえてたのに4月になるとパタッと止んだ。
ああ、引っ越ししたんだな、と最近気づいた。
他にも友人夫婦がマンションを購入したり、他の友人の景気の良い話を聞いたりした時も、
周りはどんどん変化していくのに自分は全く相変らずだ、
このままでいいのだろうか、もし体をこわしたらどうやって生きていこう、とか、
周りの変化をきっかけにして、自分の将来を悲観してしまったりして。
今こうして一人でいる事は、誰でもない自分で選択した事だし、
普段は自由で気楽な独身一人暮らしを満喫してるつもりだけど、
たまにこうして周りの影響でふっ、と寂しくなってしまう。
でも、誰かと一緒にいると今度は一人になりたくなる。
結局、無いものねだりですな・・
一人暮らしを選択した者には甘んじて受け入れなければならない感情なのかもしれません。
そんな不安や寂しさにとらわれた時には
どっぷり落ちる事でケロっとする事もあるけれど、最近は、どっぷり落ちる前に回避できています。
すごく簡単なのですが、その方法は・・・
考えない、念を継がない。
考えてどうにかなるなら考えた方が良いけれど、寂しい、と思ったところで何も生まれない。
私がよくやるのは頭がネガティブな方へ振れそうになった時、
大声で「あーあーわーわー」とその考えをかき消し直ちに別の事を考えるという事。
これ、けっこう皆さんやってますよね。
寂し・・・「あー今年もお花見に行こうどこ行こう?」とか、上書きする方式。
人って同時に1つの事しか考えられないから、寂しい、を花見どこに行こう?に上書きして消しちゃうのです。
もし体を壊したら・・と考えそうになったら(いや、今こわしてないし)、と否定しすぐ別の事を考える。
もし・・と考えそうになったら(いや、もしは無い)、と否定しすぐ別の事を考える。
「念を継がない」、というのは有名な禅語の一つだそうです。
不安や寂しさにとらわれたりネガティブになると次から次へと不安が発展する事が多いので、
何かをふっと思っても、その考えを発展させないで止めておく、という意味です。
念を継がなかった、ある日の母の話
そういえば以前、「念を継がない」をナチュラルに実践していた母にハッとした事がありました。
定期健診のため、母が実家からこちらの病院に来たので付き添った時。
そこは少し専門的な病院のため、地方から患者さんが多くやってくるためか
受付の時に患者さんに帰りの交通機関の時間を確認してきます。
その日も到着した時にすでに伝えて、待合室で母が呼ばれるのを待っていました。
するとある看護師さんが近寄って来て、
「帰りの時間を教えて下さいって言ってあるじゃないですか!困るんですよっ!」
と物凄い勢いでどなってきました。
周りの患者さんもびっくりしてこちらを見ています。
「ちゃんと伝えてありますよ、それうちですか?確認してくださいよ。」
と、その態度に腹が立ち強い態度で対抗すると、どうも人を間違っていたようです。
でも何だか誤魔化された感じで、謝りもせずにそそくさと戻って行きました。
はあ?と短気な私は怒り心頭で
「何あの態度」「言ってなかったとしてもあの態度は無い」「しかも謝りもしないって」
とぶつくさと、ずっと腹を立てていたんですが、
母が、「それでお父さんがね、」
と、何事も無かったように、看護師さんが来る前の話の続きをし始めたのです。
ハッ。としました。
母は、全然、ケロっとしていて、もう数秒前の不快な事など忘れたようでした。
一方、私は怒りにとらわれて、ずっとその怒りに念を継いでいました。
正直、母が居なかったらその日ずっと寝るまで腹を立てていたかもしれません。
それがいかに無駄な事か。
頭の中をずっとその怒りで満たす事を選択するか、選択しないかは自分で決められるんだと知った日でした。
それからは不愉快な事があっても「はい、忘れた、次。」と考えない癖をつけるようにしています。
ヨガとか、禅とか、瞑想とかもそんな感じですよね。
以前ヨガの先生にも「念を継がない」の感覚のヒントをもらったので、また別に書きたいと思います。
一回受け止めて、放す。
また、寂しい、不安な時は「あ、私は今、寂しいと思ってる」と第三者のようにその気持ちを見て、否定するのではなく一回受け止めるのも。
「寂しいと思ってる自分」を認める。この場合も深く考えない。
「怒ってる自分」を認める。なぜ怒る?とか深追いせず、ただ「私は怒っている」という感情だけを受け止める。
そのあとその気持ちを放すだけ。そして忘れる。
ムーディー勝山は達観していた?
こんな話を友人としてたら、友人が「それってムーディー勝山!」と言い出しました。笑
もう10年ぐらい前に、「右から左へ~受け流す~」と歌っていたピン芸人のムーディー勝山、覚えてますか。
歌詞を検索してみました。笑
右から 右から何かがきてる~♪
僕はそれを左に受け流す~~~♪
いきなりやってきた~~♪右からやってきた~♪
ふいにやってきた 右からやってきた♪僕はそれを左へ受け流す♪
右から 左へ受・け・流・す~~左から右へは、受け流さないぃ~~~♪右から右から そう右からきたものを♪
僕は左に受け流す~♪もしも あなたにも右からいきなりやってくることがあ・れ・ば~♪
このうたを思い出して~そして左に受け流してほしい♪右から来たものを左にうけながすのうた~♪
やばい。ムーディ勝山、仙人だ。笑